DIARYダイアリー

年越しはカトマンズで。

2023年1月11日

2023年1月、4年前と同じヒマラヤの空を眺めている。
元々、2020の4月に6000mを挑戦する予定だったが、コロナウイルスによって日本に帰国することさえ出来なくなり、気づけば3年が経ち、ニュージーランドの高校も卒業。
帰国前からずっと、この冬に6000mに挑戦することは決まっていた。

日本に帰国してから1ヶ月、カトマンズの地に降りた。カトマンズは相変わらず車も多く、信号はないし、空気は濁っていて、何一つ変わっていない。変わっていない姿だったから、「訪れる」よりも「帰ってきた」という感覚だった。4年前は山の上で年越しをしたが、今年はカトマンズで年越し。

夜になるにつれて外がどんどん賑やかになっていく。だんだん自分も外に出て、新しい年越しをしてみたいと思い、父を連れ出した。もう寝る準備しちゃったよーという父も、僕も行きたかったんだよね!という心の声が聞こえてくるくらい楽しそうに夜のカトマンズを歩いていた。
街中は、若者で道がごった返し。こんなに、人がいるカトマンズを見たことがなかった。いつものように日付が変わるだけだが、年が変わるということは、こんなにも人を動かすのだ。そして私も動かされている1人。どこに向かって歩けば良いのかもわからずにいたので、人の流れに沿ってタメールの中心に来た。すると、周りの人が突然ハッピーニューイヤーと叫び始めた。あれいつのまに!といいながらその空間に広がるHappyな空気を心いっぱいに吸った。すぐにホテルに戻ったけど、ホテルの真後ろがカトマンズの中でも有名なナイトクラブだったから朝方まで部屋の中に曲や重低音が響き渡っていた。これもまた、新鮮な年越しだ。

そして、2日にルクラ到着。カトマンズからルクラの飛行機が一番怖い。確率的には稀ではあるが、山の上のルクラ空港では何度か飛行機事故が起きている。飛行機の運行状況は、天気や霧の様子でかなり左右されるので、数時間、数日飛べないことがほとんど。今日は何時間空港で待たされるのかな、今日は飛んでくれるのかなと心配していたが予定飛行時間に飛ぶことがアナウンスされた。ええ?ホント?私たちの飛行機のアナウンス?と父と疑うほどの早さ。こんなにスムーズに飛行機が飛んだのは初めて。空の上を飛ぶのがすごいと思うほどの、今にも壊れてしまいそうな超小型飛行機。落ちませんようにと心の中で唱えながら窓の外を見ると、私の恐怖心とは真反対な、ふわふわに溶けてしまいそうな雲が朝焼けに照らされ淡いピンクに色づいていた。だんだんと山脈が見え始め、あっという間にルクラ空港に着陸した。

ふーとりあえず安心だねと笑顔で父と向かい合った。空港には私たちのいつものガイドデンディーや、クライミングシェルパ達が待っていた。懐かしい顔ぶれ、デンディーも全然変わってない!
ルクラは水色と白の2色が多くて、こんなに可愛い村だったと驚いた。4年前はどういうふうに見えていたのかな。いつもなら、ルクラに着いた日にそのままトレッキングに出発するのだけれど、今回は1日ルクラにステイ。久しぶりのデンディーのご飯を頂いて体を休ませた。ルクラで、ダウンジャケットとダウンパンツを履いて寒い寒いと言っていたから、6000mの桁違いの寒さに耐えれるのか不安だ。
体を慣らさせながらゆっくりゆっくり、ビスターリビスターリ(ネパール語:ゆっくり)登って行こう。
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カトマンズの街中

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年越しを祝う若者でごった返すカトマンズ

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ルクラ村