DIARYダイアリー

初めてのお仕事

2020年2月20日

自分が高校生になったら何をしているかなって保育園生の時によく考えていた。
中学生の時、恋愛映画で主人公がバイトをしている姿を見れば自分もバイトをしたいと思った。
自分ができないことに憧れを持つ時期。
そんな自分に突如仕事の連絡がきた。

中学三年生の冬休みに入ろうとしていた時期。「絵子にテレビ出演が来てる」当時通っていたイギリスの学校にお母さんから連絡がきた。
その時はあまりにも突然で自分が憧れていた仕事!とならず放心状態だった。
あまりにも慌てて学校にスーツケースを忘れたまま空港に行ってしまった。
そんなにテンパっていて撮影なんて、できるんだろうか。他人から見たらオーバーに考えすぎかもしれないけど自分の中ではかなりシリアス。

本番当日、立ち位置、どこで何の話をする、説明を受けても、何もかもに落ち着くことができなかった私をスタッフや出演者の皆さんが助けてくれた。特に印象的だったのは久本雅美さん。カメラが周る前に極度に緊張していた私にとっても気さくに話しかけて下さった。それで私の緊張感は解れた。初めてのテレビ出演はスタッフや出演のメンバーの皆さんに私は恵まれた。あの日はすごく長く感じて、そして、すごく楽しい時間だった。

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それを機に、ネオジャパンさんの広告のモデル、雑誌の依頼、新聞のインタビュー、テレビ出演、いろんな依頼がきた。
時にはうまく喋れなかったと落ち込む日もあったし、今日は楽しかったと思う日もある。

ある時には父から電話がかかってきて

「さんま御殿からお話がきたけれど絵子はどうしたい?ちなみにパパと一緒ではなく絵子1人での出演依頼だよ」 

 「え!私1人...」

頭が真っ白になった。父に「1人で出るのは不安だし自信ないし...」 

それに対して父は「不安なの?ならそれは出た方がいいかもね。生きていれば不安な事は多いからね。パパはいつも自信がない仕事をあえて引き受ける事にしている。でも、最終的には絵子が自分で決めること。一晩考えて」と言われ、父との会話は終わった。

「やるか、やらないかは自分で決めること」これは父の口癖だ。

昔から「ああしなさい、こうしなさい」とあまり言われた事がない。「不安ならやった方がいいよ」に父らしさを感じつつ、これは間接的に「やれ!」ってことなのかな。それとも言葉通りに受け取っていいのか、分かりにくいのが父の面倒くさいところ。でも「不安に感じるのなら、やってみれば」という言葉は次の日になっても私の心の中に残った。


初めてのさんま御殿。
初めてのさんまさん。

頭が真っ白になりながらスタジオへ向かった。約2時間の収録を終え控え室に戻った時に「やると決めてよかった!楽しかった!また出たい!」と感じている自分にも驚いていた。

初めての父とのトークショーはあまりにもお客さんとの距離が近い事に驚いて心臓が鳴り止まなかった。緊張している時は緊張をほぐすために周りをよく見るようにしている。だから、一番前に座っていた人の顔も今でも覚えてる。


始めてのトークショーの前に何を話せばいいのか父に尋ねた。

父は「伝える=伝わるではない。相手に伝わってこそ、伝えた事になる。それは場数を踏みながら自分でその感覚をつかむしかないね。まあ〜あまり考え過ぎない事だね。そして最初から何を話そうと決めないこと。話しながら会場の皆んなの反応を見ながら話を展開した方がリアルでいいよ。後ね、カッコつけないこと。カッコつけようとすると無理がでる。まあ〜自由に楽しくやるってことだね。あっ、もうトークの時間だよ。よし、行こう!」とそのまま考える間もなくステージへ移動した。アドバイスにしてはハードルが高い。いつも控え室でこのようなやり取りをしている。アルピニストの娘も大変だ。


徹子の部屋に出演した時、いろんな人から「徹子さんに、髪の中から飴をもらえるかもね」と言われた。収録中も、本当に髪の中に飴があるのかどうか、聞いてみたくて、すごく悩んだ。収録中に聞く方がいいのか、それとも収録後に聞く方がいいのか。
収録後、「飴、本当に髪の中にあるんですか?」と徹子さんに勇気を振り絞って聞いたら
「あるわよ、どこだったかしら、今探すわね」「楽屋で待ってて、見つけたら渡しに行くわ」
楽屋にいたら声が聞こえた。
「絵子ちゃん!!飴あったわよ!」
そう言いながら飴を髪の中から出してくれた。ニュージーランド産と書いてある飴を手に握りながら、なんて素敵な方なのだろとその日は、感激の1日となった。


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いつしか依頼を受けるうちに仕事というよりも特別なイベントという感覚になってきた。
うまくいかないと思って収録後に涙が溢れた事もあったけれど、それも全部、経験。


これからも一つ一つのことを面白いと思いながら貴重な経験をしていきたい。

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